筑西市議会 2023-03-03 03月03日-一般質問-06号
議員がご指摘のとおり、宮山ふるさとふれあい公園内には、宮山石倉遺跡や宮山観音古墳などの遺跡がございます。これらの遺跡には説明板を設置しておりますが、公園開園から30年が経過しており、説明板も劣化し、遺跡周辺の遊歩道なども分かりづらい状況でございます。
議員がご指摘のとおり、宮山ふるさとふれあい公園内には、宮山石倉遺跡や宮山観音古墳などの遺跡がございます。これらの遺跡には説明板を設置しておりますが、公園開園から30年が経過しており、説明板も劣化し、遺跡周辺の遊歩道なども分かりづらい状況でございます。
鹿の子遺跡から出土した漆紙文書は、長岡京跡や多賀城跡から出土したものよりも多量で内容も極めて貴重な文書であると言われています。 石岡市が全国に誇れる歴史資料です。 そのレプリカは何度か度々目にしておりますが、出土遺物そのもの、オリジナルです。これが今どこでどのように保管されているのか、大変気になります。
今でも海軍病院の遺跡を見つけることができます。しかし、複数あると言われる防空ごうを直接見ることはまだしておりません。このような認識から今回の質問となっております。 教育長に2点伺います。戦争遺跡となる防空ごう、軍事施設、米軍の攻撃跡地などは、土浦市及び土浦市外のどこにあるのでしょうか。主立った戦争遺跡を紹介してください。
急傾斜で危険というのであれば、やはり県のほうにしっかりとお話をして、危険じゃないような改修策を考えていくのが当たり前のことだろうと思いますし、また、権現山公園だけじゃなくて、牛堀にはたくさんの歴史ある遺跡だったり、そういったものもございます。こういう中で、どこに集中して整備をかけていくかということは、庁内でまだ全く検討しておりません。
イベント広場のように埋蔵文化財が存在されると考えられる場所を発掘する際には県または国と協議する必要がございまして、その理由といたしましては、本格的な発掘調査といいますのは遺跡がなくなるまで年代順にだんだん掘っていきまして、その調査をしていくということになりますので、本格的な発掘調査を終わるということは、そこにある遺跡というものは破壊されてしまうというような状況がございます。
文化振興課のほうで、どうなんだと、イベント広場の状況はどうなのかといったときに、やはり特別史跡の常陸国分寺の遺跡があるという可能性が非常に高いと、そういったことがある。
つづきまして、大池周辺は水辺空間やその周辺に広がる谷津田、樹林などの緑豊かな昔からの自然環境が保全されており、市民参加型の自然観察会の実施や小中学生による里山体験、保育園児の屋外散策などにも活用されるなど、都市近郊では珍しい貴重な自然が残っているとともに、上高津貝塚に古墳群と遺跡があり、さらに般若寺の銅鐘など国指定の文化財をはじめとする文化財の宝庫でもある貴重なエリアでもあります。
重要な遺跡が出たら出たでそれは石岡にとってはプラスじゃないですか。それを活用する方法を考えればいいわけじゃないですか。そういった部分で、本当にこれ1つではありませんけれども、行政として、市政のトップとして決断をする。そういう部分が一番大事なのではないかなというふうに思います。
市所有分であれば話は別ですけども、市所有分はほとんどが遺跡からの出土品なんですね。 ということを踏まえて、では最後に小林市長にお尋ねいたします。時間がなくなったら申し訳ないんですけども、結城廃寺跡資料館と歴史資料館の目的及び役割についてお答えいただきたいと思います。よろしくお願いします。 ○議長(早瀬悦弘君) 市長 小林 栄君。
特に遺跡の場合には土取りとか、あるいは形状変更されると、これ致命的になりますので、しっかりとして、今のうちに跡を調査して保存する。あるいは調査してしっかりと残していくということが必要だと思います、そこら辺の文化財としての指定の取組について再質問させていただきます。よろしくお願いします。 ○議長(箕輪昇君) 吉川生涯学習課長。
次に、神野向遺跡整備についてお尋ねしたいと思います。神野向遺跡は、現在の役所に当たる鹿島神宮境内附郡家跡として昭和61年に国指定の史跡となっております。発掘調査から、郡家を囲むと思われる大溝が検出され、回廊、廊下のようなものに囲まれた郡家跡が発見されたとのこと。
またその一方で,子どもたちが八朔祭りばやしや磯節など,今に続く本市の貴重な伝統文化を体験する伝統文化継承事業や,市埋蔵文化財調査センターの専門委員から講義を受けながら,本市の遺跡などを探索し,いにしえの営みや足跡を学ぶ,ふるさと考古学などを実施していくことで,郷土愛を育む機会を提供していくことも大切であると考えております。
イベント広場は、国分遺跡という埋蔵文化財が分布している土地でございます。遊具等を設置する際には、地下の遺構を確認するための調査は必要となります。調査の結果、地下から遺構が確認された場合は、遊具を設置する際に、基礎と地下の遺構に30センチメートルの保護層が必要となります。保護層が確保できなければ、盛土して遊具を設置する必要がございます。
女方の遺跡でございますけれども、発掘されたのが大分前でございまして、現状でこの資料というものがちょっと不確定なものがございます。本来位置等を、明確に示すものが存在していれば、明らかに分かるわけなのでございますけれども、現状で場所を特定できる資料等がはっきりしておりません。
まずは城の内遺跡についてであります。 城の内遺跡につきましては、市役所の南側にありまして、私たちの会派室から、上からよく見える場所でありまして、非常に気になっているところであります。
発掘調査をした結果、それほど重要ではないという言い方は大変おかしいかと思いますけれども、保存状況をある程度地下のまま保存できるような遺構もあれば、記録調査にとどめられる遺跡もあるかなと思います。 いずれにしろ、このイベント広場を現状で置いておくというのは非常に無駄な話といいますか、もったいない話であるのかなと。
議員の皆様も、松尾芭蕉の句碑がある根本寺や塚原卜伝の夫婦の位牌が安置されている長吉寺などの市内遺跡をめぐられたことがあるかとは思いますけれども、親鸞聖人や日本人初のノーベル文学賞受賞者である川端康成が本市を訪れたことを知っている方は少ないかと思います。もっとも市内にはどきどきセンターを訪れたことがない方も多いかもしれません。
そうした意味におきましても,宍塚大池周辺は水辺環境やその周辺に広がる谷津田,樹林などの緑豊かな,昔からの自然環境が保全されており,市民参加型の自然観察会の実施や,小中学生による里山体験,保育園児の野外散策などにも活用されるなど,都市近郊では珍しい貴重な自然が残っているとともに,上高津貝塚に古墳群と遺跡があり,さらに般若寺の銅鐘など,国指定の文化財を始めとする文化財の宝庫でもある貴重なエリアでもございます
中でも具体的な例を申しますと、舟塚山古墳や常陸国分尼寺跡、また、府中愛宕山古墳や石岡の一里塚、また、丸山古墳や瓦塚などの遺跡につきまして、地元の方やシルバー人材センターなどを活用しながら、草刈り、除草を行っているところでございます。 以上でございます。
数多くの遺跡が残された縄文時代、結城廃寺が創建された奈良時代、結城家が治めた鎌倉・室町時代、水野家の城下町として栄えた江戸時代、さらに北部市街地に数多くの土蔵造りの見世蔵が建てられた明治・大正時代など、古くからの歴史が脈々と受け継がれ、その中で多くの歴史資料が生まれ、今日まで守り伝えられてまいりました。